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2025.1.17(金)
訃報 (大窪 匡 逝去)
皆様、いつも大変お世話になり誠にありがとうございます。
大窪鐵工所 大窪 健太郎 です。
弊社代表を31年間務めておりました 大窪 匡 (通称名:大窪 唯之) が、2024年12月30日(月) 15:23 急性心不全により、69歳にて逝去しました。
生前の大窪を偲び、誠に僭越ながら、息子として、本件を綴ります。
父は、1955年6月16日 鉄工所を営む馨と三枝の長男として、神戸市に生まれました。
幼少の頃から車が大好きで、家の車に勝手に乗って、怒られたという話を聞いたことがあります。
2023年2月に他界した、母 三枝の熱心な教育の甲斐あり、中学・高校は、灘中・灘高に進学。
『灘中・灘高で過ごした6年間は本当に楽しかった』と、何度も何度も申しておりました。
東京大学 工学部 機械工学科 に進学後は、周りのレベルの高さに圧倒され、付いて行くのもやっとという状況でしたが、同級生に恵まれ、何とか卒業することが出来ました。
大学卒業後の1978年、家業の取引先である神戸製鋼所様に入社。
加古川製鉄所 連続鋳造機操業の工程管理スタッフとして社会人のスタートを切りました。
『後に鉄工所を天職とするにあたり、1600℃の液体の鉄との格闘を経験したことは、最高に幸福だった』と感謝しておりました。
5年間の丁稚奉公の後、1983年 28歳で家業である大窪鐵工所に入社。
当時の主力製品であった船舶用部品の景気低迷、技術革新がもたらす部品一体化による仕事消失という大きな逆境の中での家業デビューとなりました。
そんな中頂いた、川崎重工業様 油圧事業部 からの千載一遇のお引合に、藁にもすがる思いで取り組み、幾多の失敗を重ねながら、<要求精度10ミクロン以内>という難題を形にしました。
『円いものは真ん丸に、平たいものは真っ平らに、精密機械加工に命をかける誠実な会社です』という父のモノづくりへのポリシーは、前述の製品立ち上げ時にかける思い・情熱を示した言葉になります。
当初 月商100万円 から始まった川崎重工業様との取引は、今では、月商1億円を超える、当社の大きな大きな柱となっています。
1992年、京セラ創業者 稲盛和夫氏の著書 『心を高める、経営を伸ばす』に大きな感銘を受けたことを機に、稲盛氏が塾長を務める経営者のための塾、盛和塾に入塾。
稲盛経営哲学を愚直に学び続け、1993年 38歳で代表に就任しました。
就任後、1995年 阪神淡路大震災による工場損壊、1998年 金融恐慌による大不況到来等、様々な逆境が次々と訪れましたが、『苦しいときに、経費を削減し、よくなっても元に戻さない』
という盛和塾での学びをひたむきに実践し、難局を乗り越え、安定した経営基盤を築きました。
盛和塾に於いては、2003年に稲盛経営者賞、2008年に全国大会 敢闘賞を受賞し、2014年からの6年間は、盛和塾「播磨」の代表世話人も務めました。
また、2010年に兵庫県納税功労者賞、2022年に優良申告法人表形状 授与等、社会的にも公明正大な経営者であり続けました。
私自身は、2014年に家業に入り、11年間、父と共に仕事をしました。
経営者としての父は、全社員さんの幸せを何より一番に優先する大きな優しさ、お客様への深い感謝の気持ち、そして、とりわけ財務に関しては、鉛筆1本の値段まで、こと細かに把握するほどの厳しさを持ち合わせていました。
石橋を叩いて叩いて、そのまま叩き壊すのではないかと感じるほど、堅実、慎重、真面目、公私問わず、いつ何時でも質素倹約を貫き、謙虚にして奢らず、更に努力を積み重ねていました。
わが父ながら、不動の胆力、精神力、忍耐力、継続力、仕事一筋の生き様を、只々尊敬するばかりです。
昨年12月下旬に、『4月から会長に就任し、健太郎を社長にする』という話を正式にもらいました。
30年以上、第一線を走り続けている父に、早く楽になって欲しいと常々願っていた私は、そのことがとても嬉しく、『快適な会長職を提供すべく、精進します!!』と伝えました。
そこから、僅か10日足らずの 12/30(月)、いつものように自宅を出発し、午前中は会社で仕事を行い、会社近くのショッピングモールに昼食を取りに行ったところ、急性心不全で倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。
先程申し上げました、稲盛和夫氏の著書 『心を高める、経営を伸ばす』に、『人生の目的を求める』というテーマで、次の一節があります。
「仕事に打ち込んで、世の中に役立ち、自分自身も幸せだった」と感じられる生き方が、時代がどう変わろうと、最終的にはみんなが求めているものではないかと思います。
正に、この言葉を体現した父の人生は、きっと幸せだったと思います。
今はただひたすらに、天国にて、“快適な会長職”を思う存分に満喫してもらうことを願うばかりです。
また、父が69年の生涯を全う出来たのは、ひとえに、皆様のご支援あってこそです。
この場をお借りして、深く深く御礼申し上げます。本当にありがとうございます。
これからは私が父の遺志をしっかりと引き継ぎ、会社を守ることを強く心に誓い、新年のご挨拶とさせて頂きます。
全社一丸となって、より一層の精進を重ねますので、2025年も大窪鐵工所をよろしくお願い致します。